数学の問題?

国語の問題?のつづき。
先程紹介した批判記事には続きがある。まずは元記事から。

ダブっていないのにダブっていると誤って判定される場合もあるかもしれません。この確率も1/2として計算してみると、

手に取る確率 正しく判定 誤って判定
1個目とダブっていた場合 1/6=2/12 1/12 1/12
ダブっていなかった場合 5/6=10/2 5/12 5/12

この場合、ダブらない確率は5/6で、デタラメに買った場合と差がありません。効率よく買うには、ダブっていないのにダブっていると判定する確率を可能な限り低く抑えるしかありません。

気になる点を挙げるとすれば、ダブっているものを手にとって正しく判定する確率とダブっていないものを手にとって正しく判定する確率と判定する確率を両方とも1/2にしている点。その設定は音による判別が全くできていない状態を表わしている。例示としては不適切な数字の設定のように思うが、それ以外は明らかな間違いはない。続いて批判記事。

ダブっていないのにダブっていると誤って判定される場合もあるかもしれません。この確率も1/2として計算してみると、

手に取る確率 正しく判定 誤って判定
ダブっていなかった場合 5/6=10/12 5/12 5/12

こうはならない。

この「こうはならない。」に続いて、批判記事は計算だの表だのを示している。しかし、その後の計算などは、仮定を「箱の中身がある特定の食玩である事を当てられる確率が1/2」に何の注釈もなく変更している。そりゃあ、仮定を変えれば「こうはならない」だろう。後段になってから元記事の仮定がそもそもおかしい様な事も述べているが、手元にある食玩と比較するという状況を鑑みれば「箱の中身がある特定の食玩である事を当てられる確率が1/2」にする方がよっぽどおかしい。
以降の批判も「箱の中身がある特定の食玩である事を当てられる確率がいくらか」という視点で書かれており、元の状況設定すら無視した立場から書かれている。