国語の問題?
ガチャポン・食玩の確率論について。
6種類の食玩が一種類ずつ、1/6の確率で均一に箱(箱は無限に存在)に入っている。既に一つ手元に食玩があり、今からもう一つ箱を買うけど同じ食玩を買ってしまうのは避けたいという話。
仮に、ある箱を振ってみて、前の箱のどれかと同じ音であることを当てられる確率が1/2だとしましょう。その場合、2個目が1個目とダブらない確率は、
正しく判定 間違って判定 1個目とダブっていた場合 1/12 1/12 ダブっていなかった場合 10/12 − 1個目とダブっていると判断されれば棚に戻されますから、ダブらない確率は赤で示された数字の分子の合計を分母にすることになり、10/11ということになります。
以上のような元記事に対して批判している。批判しているのはいいが、元記事の問題点はダブっていないものを選んで箱を振った際には誤判定が無いという前提の存在を明記していない(または気づいていない)事であるという結論以外はおかしな部分も多い。
例えば批判の為に実際にプログラムを書いて検証しており、アルゴリズムは以下のように書かれていた。
- 先ず0〜5の乱数を生成。これを「選んだアイテム」とする。
- 次に0〜1の乱数を生成。もし1なら、予測成功として、「予想したアイテム」を「選んだアイテム」とする。もし0なら、予測失敗として、再度0〜5の乱数を生成し、それを「予測したアイテム」とする。つまり成功の場合は、選んだアイテムを予想したアイテムとし、失敗した場合はランダムなアイテムを予測したアイテムとする。
- 「予測したアイテム」がある番号(例えば3)なら「ダブリ」と判断し、上記1)〜3)の手順を繰り返す。これは再起呼び出しになっており、必要なら無限に繰り返される。
- 「選んだアイテム」を購入したと見なし、「購入数」カウンタを1増やす。
- 「選んだアイテム」がある番号(例えば3)でないなら、「購入成功」カウンタを1増やす。
- 上記1)〜5)を一定回数繰り返す。
問題なのは2.の部分。
まず、同じ食玩の箱を選んだ時に同じと判定する確率が1/2より大きくなる。この点は、批判記事でも既に指摘されていた事が書かれているが、その中で
これは「1/2で当てられる」を
- 1/2で正確に当てることができ、残り1/2ではデタラメになる(その中には偶然当たるケースが含まれる)
- 1/2で正確に当てることができ、残り1/2では常にはずれる
と解釈するかの違い。
としている。個人的には前者は誤りであると思うが本当に解釈の問題だろうか? そもそも前者のように解釈をするなら、元記事の「1個目とダブっていた場合」の確率が1/12ずつになっている事がおかしくなるのに、何故その点は指摘していないのか? 自分で「妥当な考察」として書いた表ですら1/12ずつになっているのは何故だろうか?
次の問題点は「1/2で当てられる」を「前の箱と同じ音であることを当てられる確率が1/2」なのに「箱の中身がある特定の食玩である事を当てられる確率が1/2」と解釈している事である。この事は批判記事の「妥当な考察」として書かれた表の確率から推察できるし、続きの記事を見ればよりはっきりと示されている。そしてその結果、
「正しく予想できる確率」とは「同じものを同じものであると予想できる確率」と「違うものを違うと予想できる確率」がある。山本は前者を1/2、後者を100%として考えている。
しかし特別の理由がなければ両者は同じと考えるのが適切。
と書いているのに「違うものを違うと予想できる確率」は1/2になっていない。